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親による比較は「ガン無視」が正解な理由。楽になる5つの方法を解説します

親による比較は「ガン無視」が正解な理由。楽になる5つの方法を解説します
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誰かに比べられることはとても辛いものですが、特に親に比べられるのは心を直接傷つけられるようなつらさを感じてしまうものです。

だからといって親から離れることも難しいので、比較される度に傷ついてしまい、自信を失ってしまうことも珍しくありません。

そこでこの記事では、「親に比べられること」について深掘りをしていきます。

解決方法や楽になる方法を知って、人生を今よりもラクに、自分らしくのびのびと生きていきましょう。

この記事の信頼性

現役のオンライン家庭教師として毎日、世界中の子どもたちに勉強を教えています。現役講師だからこそ伝えられる、正確な情報をわかりやすくお伝えします!

親に比べられるととても辛い。解決方法と辛くなる理由を知っておこう

親に比べられるととても辛い。解決方法と辛くなる理由を知っておこう

誰かと比較をされるのは、本当に、本当に辛いものです。

筆者は現在、オンライン家庭教師として世界中の子どもたちに毎日、授業を行っています。

そして、比較されることの辛さを身をもって知っているからこそ、「絶対に比較をしない」ことを心に誓っているほど、比較に対して注意を払っています。

しかし、中には「指導」「教育」の名のもとに平気で比較をしてくる人がいて、それが「自分の親」の場合はとても辛いですよね。

結論:解決方法は2つある。順番に取り組もう

まずは大切な結論からですが、親から比較されることに悩んでいる場合の解決策は「2つ」あります。

2つの解決方法
  • 親に直接「比べないで欲しい」と伝える
  • 自分自身の考え方や認識を変える

この2つの解決方法について、よりわかりやすく解説していきます。

【解決方法1】親に直接「比べないで欲しい」と伝える

親に比べられることに悩んでいる場合、まず検討をして欲しいのが「比べないで欲しい」と親に伝えることです。

いやいや、そんなことを伝えても無駄だよ。

このように思ってしまう方もいるかもしれません。

確かに、無駄に終わるケースもあるでしょう。あるいは、すでに伝えていながらも、それでも比較をしてくるケースもあるはずです。

そういった場合は、「解決方法2」へと進むこととなります。

一方で、まだ親に対して「比較しないで欲しい」と伝えていない場合、一度伝えてみる価値はあります。

その理由を下記にまとめました。

伝えるべき理由
  • 親が無意識に比較をしている可能性があるから
  • 比較をすることでしか愛を伝えられないから
  • 「比較をされることが辛い」ことを理解していないから

実は親という存在は、皆さんが思っている以上に「不完全」な存在です。

なぜなら、親は「皆さんが生まれてきて初めて親になった」ものなので、「あなたの親歴=皆さんの年齢」なんです。

だからこそ、「無意識に比較をする」ような過ちを犯すこともあるでしょうし、親として未熟だからこそ「比較でしか愛を伝えられない」ようなケースもあるはず。

事実として、親が子育ての中で「良かったと感じるとき」は、下記のように明らかになっています。

子どもが喜んだ顔を見るとき 74.3%
子どもの成長を感じるとき 67.5%
子どもと話したり、遊ぶとき 25.6%

参考:令和2年度「家庭教育の総合的推進に関する調査研究~家庭教育支援の充実に向けた保護者の意識に関する実態把握調査~ – 文部科学省

ご覧のように、「子どもが喜んだ顔を見る」「子どもの成長を感じる」ことに喜びを感じる親が圧倒的大多数なのです。

しかし、現実として「比較」という形で子どもを喜ばせるどころか、苦しませている。子どもの成長を妨げている。

なので、こういう言い方が正しいかはわかりませんが、皆さんが親に対して教えてあげて欲しいのです。

比較をされたらこういう理由で辛いんだよ

ということを。

このように伝えて状況が改善されるならそれでOK。もし改善されない場合は、次に解説する「解決方法2」に進んでいきましょう。

【解決方法2】ガン無視でOK。自分自身の考え方や認識を見直す

親に伝えても改善がされない、あるいは伝えら得るような雰囲気ではない場合、まずは徹底的に「ガン無視」しましょう。

もちろん、「会話をしない」など露骨に無視をするのは得策ではないので、適当に相槌だけ打って、

また同じことを言ってるよこの人

と、心の中で無視をするイメージですね。

しかし、無視をするだけではつらさは改善されないので、無視を決め込んだ上で「自分自身の考え方や認識を見直す」必要があります。

なぜなら、親はどこまでいっても親であり、「比較されるのが嫌だから」といって縁を切ることは難しいからです。

また、残念ながらこの先の人生でも、同じように比較されることは間違いなくあります。

そんな時、下記のように比較されることに対しての対処法を身につけておくことで、今よりもずっとスマートに生きることができるはずです。

比較への対処法
  • 大丈夫。比較されてもこんな風に考えればいいんだ。
  • そうだ。比較をしてくる人とはこんな距離感でいれば問題ない。
  • 比較をされたって自分は自分。言わせておけばいいさ。

したがって、「比較をされるのは仕方ない」と割り切った上で、その中で自分自身の考え方や認識をどのように変えれば良いのか、考えることが大切です。

Satori
Satori
比較をされた時の考え方や認識を変えるには、「比較をされることがなぜ辛いのか」を知る必要があります。次の章でしっかりと理解を深めましょう。

親に比較されるととても辛くなる理由

まずは結論である解決方法から説明しましたが、基本的には「比較をされた時の考え方や認識を見直す」のが基本路線です。

そして、見直す上では「なぜ比較されるのが辛いのか」を知っておくことが大切。

ここでは、下記の3つにわけて解説をしていきます。

比較が辛い理由
  • 「愛されていないのではないか」と不安になるから
  • 劣等感に襲われるから
  • 自分らしく生きられないから

いずれも「比較されること」を理解する上で大切なポイントなので、理解を深めていきましょう。

「愛されていないのではないか」と不安になるから

比較をされることで辛さを感じる最大の理由は「愛されていることへの不安」です。

わかりやすいように、ここでは例を取り上げて考えます。架空の話で、母親から下記のように比較をされたとしましょう。

あなたより弟の方が痩せていてカッコ良い

この場合、「あなた」はこんな風に考えるはずです。

  • お母さんは自分より弟の方が好きなんだ
  • お母さんは太っているより痩せている方が好きなんだ
  • 自分は痩せていないと愛される資格はないんだ

「弟の方が」「痩せている方が」といった不安が押し寄せ、自己否定をしてしまいますよね。

この自己否定が「辛さ」へとつながるからこそ、比較をされることは辛いのです。

しかし、もしかしたらお母さんは、「その場のノリ」的な雰囲気で話したかもしれません。

はたまた、お母さんの機嫌が少し悪かったのかもしれません。

それはお母さんだけが知ることですが、ただ1つ、わかりきっていることがあります。

それは、そんな風に言われても「お母さんはあなたを愛している」ということです。

ただ、愛し方が不器用なだけだったり、少し意地悪だったり、まあ簡単に言うと「未熟」なんですね。

自分が未熟なように、お母さんも、お父さんも未熟なのです。だって、「あなたの親としての年齢」は「あなたの年齢」と同じなのですから。

なので、「親だって完璧じゃないんだな」という目線を持ってみると、比較をされることに対してまた違った考え方や認識が生まれるかもしれませんね。

Satori
Satori
いくら未熟だからといって、比較をすることで子どもを辛くさせるのは良いことではありません。この話はあくまで参考程度に捉え、無理に親を理解したり、許す必要はありませんよ。

劣等感に襲われるから

「愛されていない」という辛さに加え、「劣等感に襲われる」という辛さにも見舞われやすいです。

人が劣等感を抱く理由はそれぞれですが、比較をすることは「あなたは劣っている」と直接伝えることと同じなので、劣等感を抱かない方がおかしいですよね。

しかし、こんな風に考える方もいると思います。

比較されて生まれた劣等感をバネにして頑張ればいい

確かに、「劣等感をバネにすること」は間違いではありません。

しかし、ここでいう劣等感とは「自分の中から自然に生まれる『頑張りたい』という気持ち」のことを指します。

したがって、「比較」という形で他人から作られた「ネガティブな劣等感」は、決して自分の力にはなってくれません。

もちろん、短期的には「頑張らないと」という形でバネになってくれますが、残念ながらこのバネは欠陥品です。

このバネにはヒビが入っており、使えば使うほど、どんどんボロボロになっていきます。

そして限界を迎えた時、ボキッと折れてしまい、フルパワーでバネを蹴飛ばそうとした「あなた」は、とても深い傷を負ってしまうのです。

こんな頑張り方をしてはいけません。

比較をされることで生まれる劣等感は「偽物」であり、付き合う必要はないのです。

Satori
Satori
私は劣等感をバネにして頑張りましたが、見事にバネが壊れ深い傷を負いました。良い劣等感と悪い劣等感の区別をつけた上で、悪い劣等感には付き合わないようにしましょう。

自分らしく生きられないから

結局のところ、「自分らしく生きる」ことが自分に自信を与え、充実した人生にしてくれます。

この「自分らしさ」とは何なのか、これがまた厄介であり、ここでは一旦忘れましょう。

大切なのは、「比較をされることで自分らしさが失われる」ことです。

そして、自分らしさが失われると、何をするにも辛さが生まれます。

「比較をされないために生きる、頑張る」ことの中には、自分という存在が含まれません。

つまり、自分の人生なのに、他人、今回で言えば「親」の人生を生きていることになるのです。

言ってみれば、比較されることによる生じる辛さは、

自分の人生を生きたいのに生きられない

という心の声そのものだと言えるでしょう。

だからこそ、辛く感じるのは当然のことですし、むしろ自然です。

比較により辛さを感じるあなたの中に、芯の強い、素晴らしい「自分」がいることの証拠なのです。

それを誇りに思ってください。そしてそれを自信につなげ、比較とは一線を引いた「のびのびと生きる」ことを意識してください。

のびのびと生きる方法については、次の章で一緒に考えていきましょう。

比較をされても自分らしくのびのびと生きる5つの方法

比較をされても自分らしくのびのびと生きる5つの方法

ここからは、比較をされても自分らしくのびのびと生きていく方法について、下記のテーマで解説していきます。

  • 【超重要】比較された事実から学べることは「一切ない」
  • 比較とは関係なく、「無理のない範囲」で自分を磨いていく
  • 比較する人(親)を「100%正しい」と思わない
  • 物理的、心理的な距離を取る
  • 【未来の話】今後同じように比較された場合も同じ対応でOK

いずれも重要なものなので、順番にチェックしていきましょう。

【超重要】比較された事実から学べることは「一切ない」

まずはじめに、極めて重要なことをお伝えします。それは、

比較された事実から学べることは「一切ない」

ということです。

全部聞き流してOK。間に受けて頑張るほど、人生は悪くなっていく

比較をされてしまったとき、真面目な人ほど下記のように反応をします。

比較されたときの反応
  • 〇〇(比較対象)に負けないように頑張らないと
  • 自分は〇〇と比べてやっぱりダメなんだ
  • どうすれば〇〇に勝てるだろうか

このような反応は、比較をされたときの「正常の反応」であり、決して間違っていません。

しかし、比較というのは絶対的なものではなく、あくまで相対的なもの。誰かから見た短所は、他の人から見た長所である可能性だって当然あります。

それなのに、比較をしてきた人(ここでは親)の考え方や価値観に合わせて、「変わる」「頑張る」ことは、自分の「他の誰かから見た長所」を潰しかねません。

また、その「他の誰かから見た長所」こそが、「あなたらしさ」である可能性だってあるのです。

だからこそ、たった1人の人間による比較だけで、自分の長所を潰すようなことはする必要は一切ありません。

つまり、「他者からの比較なんて間に受ける必要がない」ということです。

むしろ、間に受けて頑張れば頑張るほど、自分がどんどん「自分らしさ」という自分の中心から離れていき、人生はどんどん悪くなっていきます。

Satori
Satori
長所と短所は本当に裏と表です。誰かの思うように生きる必要なんてない。比較なんて間に受けず、自信を持って生きていきましょう。

比較とは関係なく、「無理のない範囲」で自分を磨いていく

まずは「比較なんて間に受けるな」ということをお伝えしました。あなたはすでに頑張っているのですから、比較なんてガン無視でOKなんです。

とはいえ、人によっては、

でもやっぱり、変わるために頑張りたい

と考えるかもしれません。

それなら、「無理のない範囲」で自分を磨いていきましょう。

自分のペースで頑張れるやり方を見つけよう

もし、「変わりたい」「頑張りたい」という気持ちが、比較されたことによって生み出されたものだとしたら、それは「偽物」です。

しかし、自分の心の底からそう思っているなら、それは「本物」です。無理のない範囲で少しずつ自分を磨いていきましょう。

この「本物/偽物」の見分け方は、基本的に下記の基準でOKです。

本物と偽物の見分け方
  • 本物:〜したい
  • 偽物:〜しないといけない

しかし、昔からずっと、自分を抑圧してきた生き方をしていると、頭が自分を騙すように、本当は「偽物」なのに、「〜したい」といった形で「偽装した本物」を吐き出す可能性があります。

こうなってしまうと、「本当の自分とは」という部分にまで踏み込んでいく必要があり、自分と向き合うことが求められます。

この場合も、無理をする必要はありません。自分のペースで、少しずつ自分という人間を取り戻していきましょう。

Satori
Satori
比較という形で他人の人生を生きてしまうと、時間とともにどんどん辛くなってしまいます。自分の本音を大切にしてあげてくださいね。

比較する人(親)を「100%正しい」と思わない

子どもにとって親は「絶対的な存在」とも呼べる、まるで神のような存在です。

親の考え方や価値観を正しいと思い込むのが普通なので、比較された事実を「100%正しい」と信じてしまいがちです。

しかし、繰り返しにはなりますが、あなたと同じように、親もひとりの人間です。

長所があり、短所がある、ひとりの人間に過ぎないので、100%正しいなんてことはありません。

「比較することでしか愛を伝えられない人」なのかもしれない

もしかしたら、比較する親は「比較することしかできない」のかもしれません。

もしかしたら、比較する親は「親自身も比較されて生きてきた」のかもしれません。

もしかしたら、比較する親は「比較なんてしたくないけど、どんな風に教育をすればよいのかわからない」のかもしれません。

これらは全て「かもしれない」という仮定がベースにありますが、親には親の考え方、価値観があり、あなたにはあなたの価値観がある、ただそれだけの話なのかもしれません。

したがって、比較されたことに対して過度に反応するのではなく、

親はそう考えているのね。まあ自分はそうは思わないけど。

このようにスマートに対応できれば、親に引っ張られることなく、自分の人生を生きられる可能性が高まります。

物理的、心理的な距離を取る

特に学生の場合、親と物理的な距離を取ることは難しいですが、これ以上改善が見込めないと感じたら、物理的、心理的問わず、親との距離感を見直した方が良いかもしれません。

というのも、年齢を重ねれば重ねるほど、自分自身の価値観が全身に染み付いているため、人はなかなか変わらない、変われないからです。

親と物理的な距離を取るのは難しいが、心理的な距離を取ることはできる

したがって、物理的な距離感を取れない場合は、「心理的な距離感」を取ることを意識しましょう。

「今すぐ縁を切れ」といった、極端なことを言うつもりはありません。「親のことを嫌いになれ、信用するな」といった、ネガティブなことをしなくて大丈夫です。

ただ単に、下記のように「比較してくるところ」だけ受け入れなければ問題ありません。

「比較してくるところ」はどうしても受け入れられない

真面目な方ほど、「親の言うことには従う必要がある」「親を大切にしないのはダメな人間だ」といったように考えがちです。

しかし、親もひとりの人間なので、良いところ、悪いところがあるのは当たり前のこと。

「悪いところ(比較すること)は嫌い」といったように、好きは好き、嫌いは嫌いと「ただ認める」だけで、適切な距離感で親のことを認識できるようになりますよ。

Satori
Satori
「親の言うことは絶対」といった言葉がありますが、これは間違いです。親という存在をどのように考えるのかで、今後の人生は大きく変わってくるものですよ。

【未来の話】今後同じように比較された場合も同じ対応でOK

ここまでのお話で、下記の点をお伝えしてきました。

  • 【超重要】比較された事実から学べることは「一切ない」
  • 比較とは関係なく、「無理のない範囲」で自分を磨いていく
  • 比較する人(親)を「100%正しい」と思わない
  • 物理的、心理的な距離を取る

上記の点を意識しながら接することで、これまでとは違った考え方で親の言動を認識することができるはずです。

そして、この先の人生において、もしかしたら親と同じように、誰かと比較することでしか人を認めることができない、愛すことができない人間が出てくるかもしれません。

そんな時は、上記の方法がそのまま応用できるので、今のうちから「比較されること」への耐性をつけておくと生きるのが楽になりますよ。

「善意」の形をした比較に惑わされてはいけない

最後に少し、筆者の話をさせてください。

筆者がこれまでの人生で、最も比較に苦しんだのは「塾講師のアルバイト時代」です。

アルバイトの同僚や正社員の室長は、いずれも悪い人たちではありませんでした。むしろ仲良くやっていて、楽しかった思い出もたくさんあります。

しかし一方で、同い年の同僚に非常に仕事ができる人間がいて、常に彼と比較をされていました。

  • ここがお前と〇〇の差だよ
  • ここを直せば〇〇みたいにできるのに
  • 〇〇はこんな風にいつもやってるよ

これはほんの一部ですが、自分という人間ではなく、「比較対象」というフィルターを通して自分のことを見てくるので、悲しかったし辛かったです。

ただ、当時はまだ視野が狭く、人生経験も浅かったため、比較を間に受けて「頑張らないと」と必死で食らいつきました。

しかし、結局しんどくなってしまって、アルバイトは退職することに。

結局、比較をすることは「悲しみ」「つらさ」といったネガティブなものしか生み出しません。

比較をする人が良い人かどうか、善意かどうかは一切関係なく、比較そのものが毒です。

したがって、比較をすることでしか他人を認められない人、愛せない人とは、可能な限り物理的、心理的距離を取ることを心がけましょう。

まとめ

比較は何かを教える、伝える上で「手っ取り早い手段」です。

しかし、比較される側の人間は、心を引き裂かれるようなつらさを味わってしまうもの。

比較された事実から学べることは一切ないので、間に受ける必要は一切ありません。それが親であろうと、友達であろうと、先生であろうと、関係ありません。

自分らしく、そのままの自分で生きていき、つらい気持ちを少しずつ和らげていきましょう。